第4話 由美子の場合 黒崎つぐみ

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登場人物 大西由美子 青嶺学院 3年 
     杉本 修  青嶺学院 2年
     杉本 浩一 79歳
     杉本 久枝 76歳
    (杉本 絵里子 47歳 修の母)

「杉本、例のアレ、持ってきてくれた? 」
 由美子の声は良く響く。「フィギユア愛」の部室のドアを開けるなり、その声で皆の目が修に集まった。
「ああ、一応、10個」
「すご~い。やっぱ、孫の注文は早いね。3日もかかっていないよね。プライム会員並みだよ。しかも手作りだもん」
「祖母をAmazonみたいに言わないでくださいよ~」
「ねえ、みんな見て~。今度の留学生との交流会で配るお土産、素敵でしょ。日本らしいし」
「わあ、ホント。私も欲しい」
 そこに居た数人の女子部員にはウケが良いようだった。
「それで、いくらお支払いすればいいかな? 」
「これ、ひとつ800円で出していたものなんですけど。僕だから500円でいいって」
「わあ、ラッキー! 」
「じゃあ、10個で5000円。杉本、会計だったよね。気が変わらないうちに自分で会計簿につけといて。きょうお婆様に支払うお金は立て替えておくから、あとで頂戴」
 あっという間に修の掌の上に裸の五千円札が載っていた。
じっと、その五千円札を見ていた修に
「どうしたの? 早くしまえば? 」
と怪訝な顔の由美子。
「いや、こういうセリフ、家で聞いたような気がしたんだ」
 修は、母の行動の速さについて行けない時や、無理に納得させられてしまう時、反論したくても出来ない時に似た気後れを、由美子に感じていた。

 修は、その日の朝早く祖母の家に巾着を取りに行った時のことを思い出していた。LINE電話の声は明るかった。絵里子に言われ、つい最近久枝はスマホに換え、LINEアプリを入れたのだった。目をショボショボさせながら丁寧に一つずつビニール袋に入れ、さらに綺麗な紙袋にまとめて渡してくれた祖母は、目の周りの皺が深く刻まれ、無理に笑っているようだった。
「あまり、寝ていないんじゃないの? 」
と聞くと、それには答えず
「お爺ちゃんたらね、『粗大ゴミばかりこんなに作ってどうするんだ』なんて言うのよ」
昨日から浩一と口をきいてないと言う。修のために、一日も一時間でも早く仕上げてやろうと、食事の支度や掃除もそこそこに部屋に籠っていた。ただミシンの音だけがカタカタ聴こえる部屋の外で、浩一は突っ立っていたらしい。襖が少しだけ開くと、布が散乱した部屋を見回して「粗大ごみ」と言葉が出た。
「覗かないでください! 」
 久枝はそう言うと、浩一の目も見ずに仕事を続けた。
「鶴の恩返しでもあるまいに」
 この冗談でさらに腹が立ったという。さらに、今朝は浩一の下着に貼り付いたままの湿布を、久枝が気づかずに洗濯機を廻してしまったので、ねとねととしたシップの薬が洗濯物全体に広がり、干す段になって白い点々とした付着物が払っても落ちず、もう一度洗い直す羽目になったのだ、と聞こえよがしに修に訴えたのだった。この忙しい時に手間が増えることに、自分でも抑えきれないイライラを、修を通して浩一にぶつける。
「おじいちゃん、自分で洗い直せばいいのに。それにしても、まだ湿布薬なの?」
「そうなのよ。今はもっとぬるぬるしない、いい貼り薬があるでしょ。ロキソニンなんたらとか、フェルビナクなんとかとか。あの人、昔から脱却できないんだから」
「そういうことじゃなくて、まだ腰が痛いの? 」
「そうみたいね。庭仕事なんか無理してやるから… 」
 修が菊名の家を出るときに、浩一は「大丈夫だから」とひとこと言うと、手を挙げて見送ってくれた。その顔がはっきりと目に浮かぶ。ほんの半日前のことだった。

「ねえちょっといい?」
由美子が柄にもない小声で近寄ってきた。
「あのさ、巾着の値段、どれくらいするものなのか調べてみたんだよね。そしたらね、通販のサイトにこれとそっくりの巾着が載ってて、1800円だったの。ここの通販って、最近服以外の小物を売り始めたの。(lala)っていうブランドなんだ。コンセプトが(癒され系の日曜日)だって。わけわかんないけど。着せ替え人形だったり、猫グッズだったり、それの入れ物として、この巾着と同じ色合いのものがあったの。沢山はないみたいだけど、巾着別売り1800円て書いてあるでしょ。ちょっとこれ見て」
 と、由美子のつるんとした顔がすぐそばに寄って来て、スマホの画面をこちらに向けた。修は由美子の肩までの髪の毛から香る柑橘系の匂いに身を固くする。
「1800円でも売れるんですね」
「巾着の口の所、見て。(lala)ってロゴが貼り付けてあるでしょ。これだけで800円はアップすると思うよ。杉本のお婆ちゃんもロゴつけて売ればいいんじゃない? 」
「え~、そんなに商売っ気はないと思うし」
「でも売れているんでしょ? 」
「まとめて買っていく人が居るらしいですよ」
「800円で買って1800円で売れば、何もしなくても10個売れば10000円が手元に残るのよ。まとめて買っていく人って怪しくない? ほかで転売していたりして」
 そうなると、久枝の夜なべ仕事は何の意味があるのだろう。安い工賃で睡眠時間を削っている祖母が、修には気の毒に思えてきた。
 そんな修の胸の内をよそに、由美子の目がキラッと光った。
「ロゴもいいんだけど…。それより渡す時にもらった人が自分の名前が巾着に刺繍されていたら嬉しくない? 」
「はあ… 」
 修は実感が湧かない。横から修と同学年の女子学生が耳ざとく聞きつけ
「それ、いい! そんなの欲しい! 」
と寄ってきた。
「フィギユアってみんなは家に飾ってあるでしょ。私なんか、愛着が出てくると、その子を家のケースから出して持ち歩きたい時があるのよね。例えば旅行とか。そんな時、箱にしまうとかさばるから、布でできた袋に入れたいと思うの。杉本はどんな風にしまってあるの?陳列ケースから出さないの? 」
「うちは出せないよ。僕の部屋のケースの中だけに納まっている。おふくろが片付け魔だから。婆ちゃんの手作り品とかは衣装ケースにしまってあって、婆ちゃんが来る時だけ出すんだから。慌てて飾ったときなんか、天地が逆になっている時もあるんだ。婆ちゃんも気づいているんだろうけど。フィギユアがそんな扱いされたら嫌だよ」
「へえ、そうなんだ」
 女子学生が修に同情するような目を向けた。
「それでさ、相談なんだけど」
 由美子は話が流れるのを遮るようにして、修の真ん前に椅子を引き寄せて座り、細身のジーンズの脚を組んだ。
「交流会でやって来るメンバー10人の名前はわかっているの。ファーストネーム、例えばEmma、Emily、Lucas、Mary とか自分の名前が入っている巾着って世界に一つだもの、記念になるかな? と、思って」
「なるほど」
 修にも少し見えてきた。
「でもどうやって…」
「今はね、ミシンがやってくれるのよ。刺繍くらい」
「うちの婆ちゃんにできるかな? そんなミシン使ってるのかな? 聞いてみないと」
「あまり時間に余裕がないのよ。例えば今、連絡取れる? 」
「LINE繋がるよ、婆ちゃんになら。爺ちゃんはガラケーだけど」
「これから一緒に行ってもいいか、聞いてくれる? 」
 修は言われるままに電話をしてみた。すぐに久枝が出た。
「ああ、お婆ちゃん?ちょっと頼みたいことがあるんだ。これから行くけど家に居る? 」
 修の携帯を「私に代わって」と自分を指差しながら由美子が半ば強引に受け取った。
時計を見ると4時を少し回ったところだ。今からすぐ出れば30分で家まで着く。
久枝も何が何だか分からないうちに、修と女の子が連れ立ってやって来ることだけは理解したらしく、リビングを片付け始めた。
夕方5時前には、今朝久枝から受け取った紙袋を提げて、修と由美子は菊名の駅に立っていた。夕方の買い物客で改札横の東急ストアは混んでいたが、通勤客はまだ少なく、駅の通路は階段まで見渡せた。前を歩く人の中に頭一つ飛び出て揺れている浩一を発見した。杖をついている。
「お爺ちゃん!」
 修が足早に追いつくと、由美子も慌ててついてきた。
「おう、修か。婆さんは何だか張り切ってたぞ。お嬢さんを連れて修がうちに来るなんて初めてだもんな」
 浩一の杖には駅の反対側にある不二家の袋がぶら下がっている。
 修と由美子の視線が袋に行くのを感じた浩一が
「ああ、これか? 婆さんが買って来いって。俺はそこの王将の餃子の方がいいと思うんだけどな」
「餃子、いいですね」
 こういう時、由美子ははっきりとものを言う。
「どうせ、帰り道だ。餃子買って行こう」
「わあい」
「お嬢さん、お名前は? 」
「由美子と言います。大西由美子。英文科の3年です」
 階段を避けてエレベーターで駅構内から出ると、駅前はバスがやっとすれ違えるくらいの道路の両脇に店が並んでいる。4月半ばの乾いた風が心地よい。浩一は駅前の王将で10個入りの焼き餃子を2パック買った。いつものように路地に入って蓮勝寺前の信号までショートカットする。蓮勝寺の大きな樹々がさわさわと音を立てて揺れていた。修は浩一と並んで歩く由美子の後姿を不思議な気持ちで眺めていた。急ぎの用でこうなったとはいえ、由美子との距離が近くなったことはくすぐったいような、甘い広がりを修の中に残していた。
「お爺ちゃん、ケーキ持つよ」
 修は小走りで浩一に近づくと、杖にぶら下がって揺れていた二つの袋を受け取った。
「わかった。これお婆ちゃんへのお詫びでしょ。腰が痛いのにお使い行くなんて」
「ああ、まあな。その巾着のこと、粗大ごみって言っちゃったからね」
「え? そうなんですか? 」
 ケラケラと由美子が笑った。
 浩一の背筋が少し伸びて口元がほころんだ。
「絵里子さんに頼まれたとはいえ、年寄りが自分の体をすり減らしてまでする仕事なんだろうか?もう一緒に旅行に行こう、とか言えない雰囲気なんだよ」
 と、ぽつりとつぶやくのを由美子は聞き逃さなかったらしい。
「まだ、お婆ちゃん、口きいてくれないの? 」
修が聞くと
 「いやあ、簡単なもんさ。修から電話があった途端、『お茶がいいかしら? それともお腹空いてたらご飯食べるかな? なんか買って来て』ってニコニコしてる」
 そう言う浩一も嬉しそうだった。

 花水木が影を落とす玄関先に、久枝の小さな姿が見えた。
「あら、あなたも一緒だったの? 」
 浩一に対して冷たいような恥ずかしいような一瞥があったが、
「ほらほら、早くお入りなさい」
 と、修と由美子をリビングへ招き入れた。久枝の仕事場にしている開かずの間の襖は固く閉まっていた。
「では、まず」
 と、修はポケットから二つ折りの五千円札をテーブルに置いた。
「あら、ありがとう。まず、お茶でも。あら、ケーキの苺が落ちてる。無傷はチーズケーキとチョコレートケーキかな?どっちが好き? 」
 修は杖にぶら下がって揺れていたケーキを思い出し、浩一の顔を伺う。浩一も由美子も久枝さえも全然気にしていない顔をしている。
「巾着10個、凄く早くきれいに作っていただきありがとうございました」
 ケーキには手をつけず、きちんと挨拶する由美子を修は眩しそうに見た。
「それで、厚かましいお願いなんですが… 」
 由美子は巾着の一つを取り出しながら、汚さないように紅茶のカップを脇に避けて、テーブルに置いた。テーブルクロスにはミシン刺繍が施されている。それを見て由美子はにんまりした。
「ここの所に名前を刺繍して欲しいんです。10人分」
 久枝は巾着を手に持ったまま作業部屋に引っ込むと、手に刺繍用のミシン糸をいくつか手にして戻ってきた。
「どんな色がいいのかしら? 」
 由美子は修の顔を見ると
「ほらね。直接来ると話が早いでしょ」
と誇らしそうにしている。
「これが名前のリストです。臙脂の布にはベージュで。紺の布にはシルバーがいいでしょうか?裏地の色でも。裏地の色の方がいいかな? 」
「そうね、そのくらいの色なら揃っているわ。3日くれるかしら? 」
「はい、大丈夫です。できたら取りに来てもいいし、杉本君に頼んでも… 」
 そう言いながら、修の顔を見る。
「お婆ちゃん、大丈夫? 忙しくないの? 無理しないでね 」
「一応、何かあったら連絡ください。LINEやっていますか? 」
「やっているわよ。ひさえで登録してね」
「あ、そうだった。久枝さんでロゴ考えませんか? 転売防止の意味でもロゴを考えましょうよ。そして一個の単価を高く設定しましょう。久枝さんの手仕事を安売りしたくはないですよね? 」
 と、浩一の方をちらりと見た。
「何?ロゴって」
「久枝さんのマークみたいなもの。例えばひさえさんって、昔なんて呼ばれていたんですか? 」
「チャエ、かな。小さいころひさえの『ひ』が言えなくてね。自分のことチャエって言ってたらしいの」
「かわいい!CHAE,CHAとEの間にくろまるとか入れて。星でもいいかな」
「なるほど、かわいいわね」
 久枝も乗ってきた。
「あなた、ビール飲みましょうか」
 餃子を温める「チン」という音とともに冷たい瓶ビールが運ばれてきた。
 縁側で外を眺めていた浩一が
「風が冷たくなってきたぞ。暗くなるのが早いな。一雨来るかも知れない」とつぶやいてビールのテーブルに加わり瓶の栓を抜く。
 スマホをいじっていた久枝が
「雨雲レーダーだと、ここは大丈夫みたいよ」と告げる。
「いや、空を見てごらん。雲の流れがあんなに速い。ビールと餃子を食べたらきょうは早く帰った方がいいよ」
「あら、あなた。スマホのレーダーの方が… 」
「近ごろの人はスマホばかり見て空を見なくなったからなあ… 」
 修と由美子はそそくさと餃子を摘みビールを流し込むと、
「ごちそうさま」
 と菊名の家を後にした。
 駅までの道の途中で大粒の雨が落ちてきた。
「お爺ちゃんの勘、当たったわね」
 小走りに駅まで急ぐ。
「杉本のお爺ちゃん、かっこいい。フィギュアみたい」

 東急東横線下り電車を待つ間、由美子は自分のことを少し話してくれた。
「私には父がいないの。養育費を送金して来る父はいるけど、小学校3年生から父には会っていない。だから杉本の菊名の家って、なんかいいなあ、と思って」
 各駅停車の電車がホームに入ってきた。6時を回った車内は混んではいるが、急行ほどではない。時間はかかるがどうせ10分かそこいらの差だと、由美子も各駅停車に付き合ってくれた。
由美子は小学3年生から母と戸塚の祖母の家で三人暮らしをしているらしい。経済的に不自由はしなかったが、男の匂いが家の中にはなかったという。大学生になって、フィギュアを見に秋葉原に一人で出かけた時、帰り道、一人の男がついてきた。男はどこにでも現れ、電車の中で由美子に密着してきた。荒い吐息が耳にかかった。その時の恐怖で、それ以来、男の顔を見ると、どの男の顔にもダブって矢印が浮かぶようになった。小さな矢印もあれば、鋭利な矢印もあるという。修は電車の音で聞こえない時もあったが、聞き返せないもどかしさがある。ドア付近のポールにもたれて、由美子の小さな声に集中した。修は自分の顔にも矢印がダブって見えるか聞きたかったが、由美子が自分の顔を見るので矢印は見えてないのだろうと思うことにした。
 黙ってただ聞いている修に
「こうやって人に話したり、電車で顔を上げられるようになったのも、つい最近のことなんだ」
 さっぱりした顔で言う。普段の行動力のある由美子からは想像できない言葉だった。手を振る由美子を各駅停車の電車内に残して、修は駅のホームに降り立った。
「フィギュアみたい」とは…
 生々しさがないという意味だろうか?修は言葉の意味を図りかね、流れる雲を見上げた。

この記事へのコメント

  • カラーピーマン

    第4話拝読いたしました。会話がとても自然でテンポもよくて、上手いなあと思いました。描写が丁寧で情景が目に浮かぶようです。それと、ちょっと図々しくて押しの強い由美子の背景が見えて来て、彼女が可愛く思えて来ました。これからの展開もとても楽しみです。ありがとうございました。
    2021年05月18日 22:05
  • 黒崎つぐみ

    カラーピーマンさま(^^)感想を頂き、嬉しいです。いろいろな人から見た人物像を楽しんで下さい。書いている方も楽しみながら書いています。
    2021年05月18日 23:01
  • かがわ

    カラーピーマン様。いつもコメント楽しみです。
    ありがとうございます!
    2021年05月21日 20:38