第6話 良太の場合 かがわ とわ

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登場人物
宗次良太 48歳「やきとり むねつぐ」の店主。渚、香苗と小中学校が一緒だった。
渚    48歳 先代店主の父亡き後、「小林酒店」を通いで手伝っている。
杉本修  20歳 浩一、久枝の孫。

 引き戸の音に反応して、良太は顔をあげた。
「らっしゃい」
 すり硝子の下が腰板になっている引き戸は、モンゴルのホーミーのような音で軋む。ガーという低音とキーという高音がいい塩梅で混じり始めたのは、10年ほど前からだ。戸の滑りが悪くなったわけではないので、あえて建付けを調整しないでいる。入店客の知らせ代わりだ。
 戸向こうの暖簾を跳ね上げて顔をのぞかせたのは、渚である。
「ね、今、そこで」
「ああ、香苗の父ちゃんと母ちゃんに会ったんだろ」
「えっ、なんでわかるの?」
「ここで飲んでた。帰ったばっかりだ」
 渚はカウンターの椅子に腰かけつつ、
「うわ、意外。おじさんはともかく、おばさんもってことだよね」
 目を丸くする。
「中ジョッキね」
「あいよ」
 良太は、ささみ串を焼き台に置きながら、渚から二つ離れた席の青年をちらりと見て微笑む。ここ「やきとり むねつぐ」は、店主の良太ひとりで切り盛りしていて、カウンター席のみ7席で満席となる。L字型のカウンターの短い辺に2席。長い辺に5席。渚と青年は、長い辺に着いている。今の客は、渚と青年だけだ。青年は渚を追っていた目を良太に流し、答えを求めるように瞬きをひとつした。渚はジョッキを受け取るやひとくち飲み、ふぅ~と一息つくと、
「おじさんは散歩でこの辺の商店街歩いてるみたいだけど、今日は時間が遅いし、おばさんと連れ立ってたからさ。どこかおでかけした帰りかなって。おばさんが急いでいるみたいだったから、挨拶だけ交わして別れちゃったんだよね。へぇ。ふたりで来たりするんだ」
「いや、ふたりで来たのは今晩が初めてだ。っていうか、3人で来たんだよ、な?」
 良太が青年に声をかけると、青年は「はぁ」とはにかんだ笑顔で、ひょこんと頷いた。
「祖父と祖母と僕で」
 待っていたように話し出す。渚が青年側に肘をついて乗り出した。
「ってことは、香苗のお父さんのお孫さん……ってことは、え~と香苗のお兄ちゃんの」
「息子の、修といいます。香苗は叔母です」
「──だよね。そうか。香苗から甥っ子がいるとは聞いていたから。あ、私は香苗の親友の渚といいます。はじめまして」
「祖父たちのこと話してたから、誰かなって気になってました。叔母には、僕、子どもの時に会ったらしいんですけど覚えてなくて──結婚してからずっとあっちですし、会ったのも、彼女が独身時代に一時帰国した時だっていうから、かなり前の事なんですよね。父とか祖父母から話は聞くけど、正直遠い人っていうか」
「そうかぁ」
 早くもジョッキ半分を空けた渚が、腕を組んで頷く。
 良太がカウンター越しに、渚へささみ串を渡しながら、
「なあ、渚。本日、修くんは、人生最初のひとり飲みを始めたところなんだよ」
 修が渚に向かって、サワーのジョッキをあげ、
「昨日、二十歳(はたち)になったんです。僕」
 胸を張ってみせた。
「あら、そりゃ、おめでとう。大学生?」
「はい。2年生です。今日は祖父の家に用事があって寄ったんですが、成人祝いに欲しいものを考えとけって言ってくれて。じゃあ、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒にお酒飲みに行きたいって答えたんですよ。子どもの時、よく祖父母が西口の不二家にパフェとか食べに連れてってくれた思い出があるんです。大人記念ってことで、お酒を、と。そしたら、祖父がとても喜んでくれて、旨い焼き鳥屋があるから今から行こうって連れて来てくれたんです。お酒もいいやつ入れてる店だから、ぴったりの場所だって。時々、祖父たちに会いに来るから、商店街に焼き鳥屋さんがあるのは知ってました。もしかして、ここ? と思ったら、やっぱりそうでした」
「酒のいいやつ、を入れてくれてるのは、この小林酒店の看板おばさん、渚だ」
「修くんのおじいちゃんもよく寄ってくれるわよ。私は香苗とおじいちゃんの伝言役だしね。ほら、あちこち配達してるから筋肉すごいでしょ?」
 袖を捲り上げて、二の腕を見せた。良太が笑いながら、渚の前にねぎまとつくねを置く。
「女性がビールケース持ったりするのは、かなりキツイんじゃないですか」
「コツがあるのよ。持ち手内側から手を差し込んで、手のひらが外側に向くようにこう……ね、話が遠いからこっちおいでよ」
 修に手招きし、椅子を引いた彼の皿やらジョッキやらを自分の隣に移動してやる。
「ところで、なんでひとり飲みになってるわけ?」
「祖母の肩の調子が悪くて……。最初僕は、祖母の具合が良くなってからでいいよって言ったんです。そしたら、祖母が僕の希望を早くかなえてあげたいからと……無理していたのかな。ちょっとだけビールを飲んでつきあってくれたものの、かえって調子が悪くなってしまって。ひとりで先に帰るって言うから、おじいちゃんに一緒に帰ってあげてよって言ったんです」
 あら~と、気の毒そうな顔になった渚に良太が、
「なぁに。ふたりが帰ったあと、修くんさ、実はひとりでこうして飲むっていうのも二十歳(はたち)になったらやってみたかったんだと。今日はいっぺんに叶っちゃったって現金なこと言ってたぞ。まあ、いいんじゃない? 今日の会計は、おじさんのツケで好きなだけ食べさせてやってくれと言われてるし。──ほんとのひとり飲みデビューは、してねえな」
 からりとした気持ちの良い話しぶりに、そうっすね、とついくだけた言葉を返した修が、頭を掻いて、
「あの~。質問していいですか」
 良太と渚を交互に見た。
「渚さん、入って来た時から自分で串を注文してないですよね。なのになんで、次々と串が出て来るんですか」
「お、いい質問だ。焼き鳥には、食べる順番の王道がある。美味しく食べられる順番だ。渚はとうの昔にそれを知っているし、俺は渚の胃袋の許容量も把握してるから普通に出しているだけだ」
「最初は塩で、味がさっぱりしたものから始めて、後半にはたれ系や油っぽいものに進み、仕上げは皮でしめると、どれも美味しく食べられるのよ。味の濃い部位や癖のある部位を先に食べちゃうと、そのあと口にした薄味の肉の美味しさがわからなくなっちゃう。でも、お客に食べる順番の蘊蓄をたれる煩い店主にはなりたくないから、おまかせでって言われると、嬉しそうな顔するの、この人。ついでに言わせてもらえば、焼き鳥に合う日本酒もあるし、部位や焼き方によってぴったりのお酒も変わるのよ。でも、よっぽと飲み助じゃないと、串ごとにお酒を合わせていたらベロベロになっちゃうからね」
「へぇ~。じゃ、ここからおまかせでお願いします。あ、お酒はおまかせでなくて。──渚さんは、よくいらっしゃるんですか」
「まあね。私と香苗と良太は同い年で、小中学と同じ学校だったから」
「良太? むねつぐさんじゃないんですか。看板に……」
「あ、この人も間違えた」
 手を叩いて渚が笑った。
「あのな、むねつぐは名字だ。宗教の宗に、次と書いて宗次。最初は看板を漢字にしようとしたけど、それだと、そうじ、とやっぱり名前と間違えられそうでな。どっちにしても、よく間違えられるんだよ。む、ね、つ、ぐ、りょ、う、た。覚えとけ」
 良太は渋い声をつくって、眉間にしわを寄せてみせた。修が一呼吸置いてから、
「祖母の肩の痛みは、僕が大学で所属しているクラブの都合で、巾着を短期間で10個作り、名前の刺繍も入れてと頼んでしまったことにあるんです。刺繍が困難になった祖母は、母にヘルプを求めました。母の話では、祖母との電話で祖母が無理をして刺繍にこだわっていることを不思議に思い、刺繍でなくちゃだめなんですか? 求められてるのは、名前を素敵に入れてあげるってことですよね? わかりました。任せて下さい。と電話を切り、ならば布用のペンで書けばいいと決めると、ちゃっちゃと調べたそうです。布用のカラフルなペンが豊富にあり、キラキラタイプやもこもこ立体に浮き上がるタイプなどが揃っていることがわかった。続いて、あなたの友だちでレタリングの得意な子いる? と指示して来たので、副部長に事情を連絡したら了解してくれました。アニメの絵とかデザインとか得意なやつ、うちのクラブに多いんで。無事解決」
 渚が、興味深そうに「何クラブ?」と訊くと、ちょっと照れた顏で「また、今度」とスルーして、良太があいよと置いた皿を指さし、、
「このV字型のは、なんですか。居酒屋で見たことあるような、ないような」
「まつば。鎖骨。修くんさあ、二十歳(はたち)になる前から飲んでただろ。いい飲みっぶりだ」
「──そりゃあ、1年前の新歓コンパの時から。──普通ですよ。でも、ひとり飲みは初めてです」
「おばさんは、修は初めてのお酒だからコップ一杯にしておきましょうねって、ビールを注ぎ分けていたもんなあ。帰ったとたんにサワー頼んだから、こいつ」
 ちよっと自慢気な顏になった修を見て、渚の声に笑みが混じる。
「おばあちゃん、肩の酷使が続かなくて良かったわね」
「でも、刺繍じゃなくていい事になったら、なんだか、しょげちゃってたんですよ」
「──そうかぁ。可愛い孫のために、当初の注文通りにしてあげたかったんだね。う~ん、お母さんの気持ちもわかるし。難しいね」
「母はすべてに合理的でロジカル思考です。何か解決したい問題があったら、まず頭を使えと言われてきました。僕、小学生の時、最初は逆上がりと跳び箱が出来なかったんですね。それを知った母が、努力や根性でやろうと思うな、理論だ。逆上がりは、大きく蹴り上げただけではだめ。体をしっかりと鉄棒に引き寄せること。跳び箱は、高く飛ぶことより、向こう側に行くつもりで飛べ。できるだけ前に手をつくことが大切、と。──すぐ出来るようになりました。びっくりするほどチョロかったです。今回の巾着も、母の提案で祖母の手芸品をレンタルボックスで売ることを提案したのがはじまりでした。母としては、祖母とのウィンウィンを狙ったわけで……。母らしいというか。このまつば、淡泊であっさりしていて美味しいです」
「だろ? スパイスがよく効くんだ。おまえの母ちゃんみたいにな」
「ウィンウィン? お母さんは何かの問題を解決したかったの?」
「それは、え~と。母は企画を楽しめて祖母は好きな手芸がお小遣いに繋がるという、そんな感じです。基本、母と祖母は仲がいいんですよ。だから家に帰って、祖母がしょげていたこと伝えようと思います」
「お母さんは、テキパキ系みたいだけど、だからって何も気にしないわけじゃないと思うの。伝える時にはお母さんの気持ちも考えないとね。──ま、頑張りたまえ」
 渚は、修の肩をポンと叩いた。
 良太は、小学校の時に、渚が逆上がりの出来ない子の後ろに回って、背中で押しあげてやっていたことを思い出した。昔から人の手助けをするのが好きなやつだった。喧嘩しているクラスメートがいると、両方の話を聞いて「う~ん。どっちの話もわかるなあ」というのが口ぐせで、さりげなく仲介役をしていたっけ。そんな渚を良太は、いい子ぶってる、や~いコウモリ! と皆の前で茶化したことがあった。良太がその日、家に帰ってれんらく帳を開けると、「りょうたのばか なぎさより」と丸っこい字で書いてあった。翌日、良太が渚にノートを突きつけると、「あれ? 消してないの? 赤鉛筆で書こうと思ったけど、普通の鉛筆にしといたんだよ」と消しゴムを渡された。
 実は良太が離婚したあと、渚と危うい関係になっていたことがある。渚は20歳で結婚して隣町に住むことになったが、店主である父が腰痛をだましながら働いていたこともあり、週に何度か店の手伝いに来ていた。良太は31で結婚して、翌年には妻が男をつくって出ていってしまった。店のアルバイトだった妻とふたりで店に立っていた良太は、ショックと忙しさで心が不安定になり、それを助けたのが渚だった。渚はすでに3人の子持ちとなっており、10歳の長男を頭に、次男8歳、末っ子の長女は7才だった。納品に来たついでだと言って、仕込みの串を打つ良太を気遣いながら、出来る仕事を見つけて手伝った。溜息混じりの良太の繰り言を黙って聴き、いったん店に車を戻して、子どもの帰宅までに家に帰るという多忙な時間を繰り返した。良太も渚も、毎日が酷く疲れるぶん、どこか興奮していた。赴くままに濃密な関係となってしばらくした時、良太から「悪かった。もう大丈夫だ。ごめんな」と頭を下げて友だちに戻った。「大丈夫なんだ──良かったね」そう言って、渚は菩薩のように微笑んだ。誰も──香苗も知らない短い間の話だ。
「良太さん、ひとりで大変じゃないですか。バイト入れればいいのに」
 修が白レバーを歯でしごきながら見上げる。
「コスト削減だあな。カウンターでこなせる狭い店だし、もう長くやってるから手際いいだろ? ひとりのほうが気楽でいいよ。──白レバー、どうだ?」
「レバーっぽい臭みがなくて、まろやかで」
 修に続けて渚が、
「甘味があって、とろけるようでしょ。舌全体で味わいなさい」
 備長炭に落ちた肉の油が香ばしい煙となって、もつれあってから離れるようにひろがってゆく。
「良太、日高見、お願い」
 キレのある超辛口純米酒の名をあげる渚の串は、肉の油たっぶりのぼんじりとせせりだ。修の皿にも、同じものが乗る。渚はおちょこをもうひとつ頼んで、修にも注いでやった。
「おいおい。飲ませ過ぎると、おじさんたちに申し訳がたたないぞ」
「そうね。今日はこのへんにしておきましょう。じゃ、最後の皮はパリパリに焼いてくれる?」
「あ、僕もパリパリでお願いします」
「今度は、彼女連れてこい、な」
「──いえ、いないんです」
「なら、いいなと思う人、連れておいでよ。良太がさ、君たちの懐に合わせて串を出してくれるよ」
 覗き込む渚に、
「ほんと、いないんですってば」
 即座に否定する修に、
「わかりやすいな、おまえ」
 良太も覗き込んで笑った。
「次回からは、バイト代で食べに来ます。ごちそうさまでした」
 立ち上がった修が、少しふらついた。
 
 駅まで送っていくわ、と渚は修をかばいながら店を出ていった。
 香苗の甥っ子かぁ。香苗はどうしてるかな。旦那の会社が倒産したっていうから、心配なんだよな。渚に彼女の様子を訊いてみたかったんだが。まあ、あいつは3日後の納品でまた来るから。
 良太は暖簾を中に入れ、備長炭の火を落とし、たれ壺の表面を網で掬って綺麗にして蓋をした。使った串を捨て、食器を洗い、焼き台を掃除して、最後にカウンターを丁寧に拭くと焼き台側のカウンター下にしゃがんで、裏側を見上げた。
 良太のばか
 渚の丸っこい字が、そこにある。渚と別れてちょとしてから、それを見つけた。あいつは、俺が気づかないと思っているだろう。マジックで書かれた文字を、良太は串を打つより丁寧に触れた。



この記事へのコメント

  • カラーピーマン

    第五話拝読いたしました。
    新たな登場人物の良太が加わり、渚との秘密の関係が出て来て、一人一人に物語があるんだと、つくづく感じさせられました。会話が自然で、その人の性格がよく出ていると思います。これからの展開がいい意味で分からなくなってきました。その分、楽しみも倍増です。次回作、どうなっていくのか、楽しみにしています。
    ありがとうございました。
    2021年06月02日 14:33
  • かがわとわ

    カラーピーマン様。
    早速の感想、いつもありがとうございます!!
    前作リレーの「いやな指」https://hamabun.seesaa.net/index-9.htmlと大きく違うのは、
    「一作ごとの読み切り短編」がルールということです。(登場人物たちは、絡み合っていきます)
    なので、とりあえずひとつの話にまとめて、オチ(?)をつけて書いています。書き手全員が、この先の話がどう進むのかわからないスリルは同じです。
    書き終わってほっとし、さあ、次の人、お好きにどうぞ~♪ なのであります。
    2021年06月02日 15:59