
登場人物
杉本 浩一 79歳 東急東横線・菊名在住
杉本 久枝 76歳 浩一の妻
ギルバート 香苗 48歳 杉本夫妻の長女 ロンドン在住
小林 渚 香苗(杉本夫妻の長女)の幼馴染
小林 翔平 27歳 渚の長男
(話題に上った人物)
杉本 宏 杉本夫妻の長男
小林 ゆう子 73歳 渚の母
宗次 良太 48歳 香苗の幼馴染
吉竹 杉本浩一の友人
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なぜ、番外編?
このリレー短編小説はあらかじめ共通ルールを決めて書き出しました。
〇主人公は前の回と必ず違う人にすること
〇一話完結にすること
〇途中で視点を変えないこと などです。
今回、書く前に第5話で香苗からの電話が以前にかかってきたことを見落としておりました。
さらに第8話の最後が「香苗だ」と浩一が電話を取るところで終わっています。
賢い読者のあなたを煙に巻いてしまいました。そして番外編を書きました。
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浩一は、酒屋を継ぎたいという渚の長男・翔平と、紫陽花が咲き始めた蓮勝寺の境内で気持ちの良いビールを飲んだ。若い人と飲む酒は心地よい高揚感を連れてくる。LINEとやらで、香苗と話をしたことも、体に新しい血が巡るような興奮をもたらしていた。香苗の「あとで家に電話する」という言葉でその興奮はずっと持続していた。
先日、香苗から国際電話があった時、久枝が首と肩を傷めて臥せっていると言えなかった。言ったところですぐに飛んで来られる距離でもない。イギリスへ行ってからは「どうせ言ったところで…」とこちらの病気やちょっとしたトラブルは言わなくなってしまった。きっと香苗はあの時も何か言いたくて電話をして来たに違いなかった。以前、渚に香苗とのLINEのやり取りを見せてもらった時、香苗が夫の会社の倒産で日本に帰りたいという気持ちでいることを知っただけに、こちらからもいろいろ聞きたいことがあったのだが、「お母さんが2階から下りて来るようだよ」と言った途端、電話を切ってしまった。声が聴けたというだけで、話らしい話はできなかった。あの時は不安だけが浩一に残った。香苗と久枝の齟齬は夫婦の間にも溝を作っている。いっそのこと、吉竹が言うように、娘が離婚して帰国したら安心できるのかもしれないとも思う。
冷蔵庫に瓶ビールをしまっていると、電話が鳴った。久枝は2階に居るらしい。昼間でも横になることが多くなった。慌てて受話器に飛びついたが、電話は自動音声によるアンケートだった。機械的なテープの女性の声を確かめもせずに「香苗か?」と思いのほか大きな声が裏返ったが、相手が機械で良かったと時計を見る。まだ5時にもなっていない。
「6時に香苗から電話がかかって来ることを言っておいた方がいいな」、浩一は自分に言い聞かせるように声に出してそう言うと、ゆっくりと2階への階段を昇って行った。
「その前にこないだの電話のことも言っておかなければ……。また『どうして言ってくれなかったの?』と久枝は怒るだろうな」と、これは口には出さずに深呼吸して胸にしまう。階段の踊り場で息を整える。
「おい、起きてるか?」
「はい、今電話が鳴ったでしょ? なんだか慌ててバタバタ大きな音を立てて電話をとっていたでしょ。目が覚めちゃったわ」
「そりゃ悪かったね。でももう5時だ。夕飯はどうするんだ」
「絵里子さんが、レトルトの牛丼とか、チンしたら食べられるもの、送ってくれたでしょ」
「ああ、そうだったな」
「様子見に来てくれるかと思ったけど、送ってくれるだけだったわね。送ってくれただけでも助かったけど。買い物に行きたいけど、重い荷物を持てないのよ。お婆さんが良く押している手押し車みたいなのあるでしょ。あれが欲しいなあ」
「君もお婆さんだもの、買えばいいさ」
「菊名には売ってないわ。どうやって?」
「それこそ、絵里子さんにネットで買ってもらって、ここに送ってもらえばいいんだよ。彼女なら指一本でちょいちょいだよ」
「そうねえ、そうしようかしら。さっきの電話は何だったの?」
「失礼しちゃうよ。自動音声のアンケートだってさ」
「慌ててたじゃない? 」
「……実はね。6時に香苗が電話して来るらしい。さっき渚さんがLINEで香苗に電話してくれたんだ。びっくりするといけないから先に言っとくけど、ギルバートが失業したらしい」
久枝はしばらく無言だった。
「だから言わないこっちゃない」
ぽつりと呟いた。
「香苗に直接そう言わないでくれよ」
「わかってるわ」と言ったものの、やはり棘のある言葉が国際電話の電波を震わせた。まず、浩一が出て、LINEのことや渚から聞いた話、暮らしぶりのことなど5、6分話していたが、久枝に代わった途端、話題は香苗自身のことには一切触れず、孫の修のことにすり替わってしまった。 浩一は久枝の手から受話器を奪うと、
「帰って来なさい。電話ではわからないよ」
そう伝えるのがやっとだった。
浩一は電話を切ったあと、疲れが出たのかベッドサイドの椅子にへたり込んだが、久枝は反対に起き上がるとすぐに絵里子に電話をしていた。
「もしもし、アマゾンってところに頼みたいものがあるの。お金はあとで払うから。手押し車、あるでしょ。疲れたら椅子になっててそこに座れるやつ。ほら、お買い物した荷物がその椅子の下に入れられて…。あれ、頼みたいの。そろそろ東急まで買い物に行きたいの。お野菜が食べたくて……」
久枝の肩と腕や腰の痛みは軽くなったが、家から出なかったため体力に自信が持てずにいた。電話で絵里子に頼むと、気が済んだのか矛先が浩一に向いてきた。
「いいわね、あなたはぷらっと杖でどこでも行けるでしょ。きょうも一杯飲んできたの? 主婦は毎日重たい食材や日用品の買い物をしなきゃいけないのよ。一生、主婦は主婦なの!」
そう、嫌味を言い放つと、今度はまた違う所へ電話をしている。
「ごめんなさい、お仕事中。香苗の母です。……いえいえこちらこそ主人がお世話になりまして。あのね、香苗のこと、少し教えていただきたいの。あの子、私には何も言わなくて」
浩一がベッドサイドでまどろんでいる間に、久枝は渚に電話で次の約束を取り付けている。こういうのを転んでも只では起きないというのか、あれこれ考える前に行動に移すところは久枝と香苗は似ているのだ。
「いつでもいいの。ご馳走するからランチでもご一緒できないかしら? 場所はお任せするわ。歩いて行ける所にしてね。あまり歩けないの。5分がいいとこ」
用件だけ伝えると、「さっ、ごはんごはん」と言いながら階下へ降りて行った。浩一は昼間のビールがすっかり抜けてしまっていた。
この記事へのコメント
カラーピーマン
今回は、リレー小説メンバー皆様の誠意を感じました。多少流れが変われど、本流は力強く、今後の展開がますます楽しみになりました。ありがとうございます。
黒崎つぐみ
コメントありがとうございます。
ハッキリ言うと、自分自身の頭の整理のためにも「番外編」を書きました。読者に指摘されるまで気が付かなかったのは反省です。