第11話 ──の、場合。 かがわとわ

4270702_m.jpg
  
  内容構成の都合により、登場人物は末尾で紹介します。

 ラウンジに入って来た女が、こちらに向かってくるのが見えた。彼女が俺に気づく前に、雑誌を広げて顔に乗せた。椅子を素早く後ろに倒し、眠りこけているふりをする。パスポートをサイドテーブルに乗せたままなのは、いいカモが現れたら小道具に使うためだ。ミディアムボブの片側を耳にかけたアジア系の女。おそらく日本人だ。同じ便の羽田行に搭乗する確率が高い。妙に深刻な顔をしていた。──釣れるかも知れない。靴音が近づいて来て、俺の左側で短い間止まった。左袖口のネーム刺繍を見ているとしたら、狙い通りの展開になる。ここは空港会社専用ラウンジなので、入室可能なカードを持つということは、ヘビーユーザーだ。ビジネスウーマンか、うまく行けば旅行好きなアッパークラスの女。
 隣のテーブルの椅子に場所を確保するような音に続き、また靴音が去る。そっと雑誌を持ち上げて確認すると、ワインセラーの方に向かうボブカットの後ろ姿があった。ふたたび雑誌で顏を覆い、頭の中で手順を確認する。女が戻って来て座る。俺は頃合いを伺って、肘でパスポートを落とす。「落ちましたよ」女は、俺の肩を叩いて渡すだろう。「ああ……どうも」寝ぼけを装って受け取る俺。「すみません。起こしてしまって。でも、パスポート……」と、女。「ついうとうとしてしまって。パスポートを出したままなんて、不用心極まりないなあ。助かりました」爽やかに笑う俺。普通の女なら、この笑顔にやられて言葉を返して来る。「日本のかたなんですね」「あなたも?」「ええ」「僕は九時四十分発の羽田行です」「あら、私もです」──と来たら、あとは金づるになるかどうかの見極めだ。空港でのロマンチックな出会いの演出。
 ──女が戻って来たようだ。グラスを机に置く小さな音。しばらく静かだったので、そろそろ行動に移ろうかと思ったところへ、バッグから何かを出すようなガサガサした音に続き、話し始めた。──誰かに電話をしているらしい。
「実はヒースロー空港。日本に一度帰るのよ」
 よし。日本人だ。同じ便と考えていい。声音に甘さはないので、若くはないだろう。ちらりと見ただけだが、たぶん俺より年上。年齢はどうでもいいのだ。金を持っているなら。俺は耳を欹てる。と、そのうち「別れるつもり」「愛人に子ども」など、好都合な言葉が続けて発せられた。俺は雑誌の下で薄く笑った。こういう状況の女は、簡単に落ちやすい。このあと会話に持ち込み印象づけて一旦離れる。羽田の荷物受け取りレーンでさりげなく近づいてまた……。
「これからプロバンスに行くわ」
 ──えっ。何だって? 
「泊まる所を確保して欲しい」「すぐにインターネットで予約してみる」
 興奮気味の早口に変わった。──日本に帰るんじゃなかったのか? 恐ろしく気まぐれな女だ。
「では、後で」
と言ったあと、検索を始めたらしくぴたりと静かになり、しばらくするとまたガサガサと音がして再び静かになった。
 俺は、ため息をついてむっくりと起き上がった。隣のテーブルには飲み残した白ワイン。
 ──運が良かったな。俺につかまらなくて。やれやれだ。スーツの上着を乱暴に羽織る。
「落ちましたよ」
 脇を通った爺さんが、パスポートを拾って渡してくれた。このパスポートは期限切れでパンチ穴処理されたものを、加工してそれらしく見せた小道具だ。うまく穴を埋めてあるので、ちょっと見にはわからない。それこそ盗まれて悪用されないように、俺の情報が入ったページは抜いてある。本物は、サイドバッグの中。シャツの袖口に刺繍された「Genjirou」は偽名だ。去年の貢ぎ女と会う時に使っていた名前。あの女もいろいろなものをくれたが、オーダーメイドのワイシャツをつくってくれた時に、名前を入れられたのには参った。「左身頃に名前を入れるのは、正統なお洒落よ」だと。基本、同じ名前は二度と使わないが、今回帰国時にこのシャツを利用して遊んでから処分するつもりだった。「ゲンジロウ? ああこれは去年亡くなった兄の形見のシャツなんです。ロンドンに行きたがっていたものだから」と、愁いを滲ませて目を伏せれば──。
 嘘なんて、いくらでもつける。 

 十二時間弱の搭乗後、羽田からエアポート急行と根岸線を乗り継いで東神奈川に着いた。ポケットからハンカチを出して、汗を拭う。朝の七時前だというのに、日本は蒸し暑い。ロンドンは乾燥していて、朝夕は涼しかったのでこたえる。六月半ばに日本を発って一か月ちょっと。直近のスポンサーを見限ったあとのバカンス。これまでに何人利用しただろう。途中から数えるのをやめた。金を持っている女でなければならない。金を調達してくる女はだめだ。下手に会社の金を横領して流されたりすると、俺が危ない。いわゆるマダム系の女に近づくのが一番楽だが、案外地味な独身年増が金を貯めこんでいるものだ。この手の女は、初めはすごく警戒するが、いったん箍が外れるとこちらが引くほどのめり込んで来る。──小さいころから、俺はモテて来た。同年代からは当然、同級生の母親や、近所のおばさんからも。「可愛い」に始まり、「カッコイイ」「ジャニーズ系」「イケメン」「王子」などと形容された。ずっと「いい人」を演じて来た。容姿に天狗にならずにいることで、更に評価が高くなった。女を金づるとして利用するようになったのは、十八の時に、母親が失踪してからだ。父親はもともといない。金持ちおばさんたちの「若いツバメ」となって、女をATMにしたわけだが、そのうち毎回名前を変えることに快感を覚えた。長くて半年スパン。近隣で「仕事」はしない。適当に吸い上げたら、突然消える。そのほうが俺のためでもあり、女のためでもある。金持ちとプライドが高い女は追って来ない。
俺の本名は星也(せいや)という。周囲から「あなたにぴったり」と言われ続けた鬱陶しい名前。さすがに俺も四十だから「若いツバメ」というわけにはいかぬが、金を出してくれる女はまだまだいる。女が俺を見る時の浮かれた目は変わらない。面(つら)さえ一級なら簡単にこなせる仕事と思ったら大間違いだ。頭を使って騙す。心を操ってまやかす。フロイトも言っている。「言葉はもともと魔術でした」ってな。狙う女の願望と欲望に合ったルアーを駆使し、引き上げる。どこまでもリアルな演出が必要。ちなみに偽名でいる時は、「僕」か「私」を使う。女に合わせて変える。「俺」は使わない。
駅から徒歩で十五分の賃貸マンションに着く。エントランスで、スマホから妹に電話をかけた。
「夜空(よぞら)、帰ったぞ。今、上がる」
「何分ですか。何分たったら来ますか」
 エレベーターのタイミングがよめないので、現在時刻を確認してから、多めに「四分」と答えて切る。箱は一階に来ていて、俺は五階の部屋の前でちょうど四分経った時を見計らってドアチャイムを押した。我が家のドアチャイムは、いわゆるピンポン系の音ではない。夜空はその音が苦手だからだ。チャイムとサイレンの音はとても嫌がる。耳をふさいで固まってしまう。大きな音や、特徴的な音はだめなのだ。チャイムは、雀の鳴き声に加工してある。ちなみに俺たちのスマホの着信音も雀だ。
「星也、お帰りなさい」
 長い髪を後ろでひとつにまとめた、化粧っけのない顔が現れる。
「ああ、エアコンが涼しいな」
「23.5度です」
 夜空のこだわりの室温だ。喉が渇いた。何かある? と言いかけて、「冷たいお茶のペットボトルはある?」と声をかける。具体的に言わないと、夜空は困ったように眉根に皺をよせるのだ。双子の妹の夜空とは二卵性なわけだから、普通の兄妹程度に顔が似ている。俺のほうが美形であるが、夜空にはどうでもいいようだ。彼女はひとりでいることを好むので──というか、集団の中にいることが苦手で人とうまく関われないので、働いていない。夜空と同じ傾向を持っていても、周囲の理解を得て、立派な仕事をしている人はたくさんいるが、夜空には夜空のやり方があるので、それを乱さないようにしている。自分で納得したことでないとパニックを起こすが、俺が頻繁に家を空けても平然としているのは、ありがたい。出かける時には「仕事に行ってくる」とだけ言う。「仕事に行く」イコール「いなくなる」というルールと、「何時に帰る」「何月何日に帰る」とはっきり告げるルールを決めていれば大丈夫なのだ。ふたりの生活は、俺が女たちからゲットした金でまわっている。俺がどうやって金を稼いでくるか、夜空は知らない。そもそも興味がないのだ。曖昧な表現を受け止められない夜空に、適当な説明は出来ない。
 カフスを外して、キッチンテーブルに並べ、脱いだワイシャツをゴミ箱へ突っ込む。カフスは自分で買った。ロンドンでは、ヒースロー空港から地下鉄で一時間のイズリントンで過ごした。ロンドン中心部に隣接する緑と水が豊かな街。「仕事休み」の場所として最高だった。駅前のアッパー・ストリートから一本奥へ入った細い路地では骨董市が開かれていて、そこをぶらついていた時にこのカフスを見つけた。アンティークの宝飾品を扱う店の、安売りワゴンにあったのだ。ウエッジウッドの陶器カフス。年代ものではなく、ただの中古品だ。薄いブルーの地に、白い帆船がデザインされた四角形。縁取りは金色でなかなか洒落ている。16ポンド91ペンス。安く手に入れた。この通りで、日本の女が声をかけて来た。通りの近くのコミュニティーガーデンを抜けた先に「LITTLE ANGEL THEATRE」という古い人形劇場があり、その近くの「操り人形工房」で働いているという。単身で修行に来ているので、日本人らしき人を見たら嬉しくて声をかけるのだそうだ。三十代後半と思われる目のキラキラした女で、「良かったら人形劇を観に来てくださいね。私の創ったコが出ているんです。帰りに工房に寄ってください。人形の操り方見せますよ」と言うので、「へぇ。是非。明日、行ってみますよ。公演の時間は?」と、彼女の瞳を覗き込んでやると、黒い瞳孔がぽわんと開くのが見えた。翌日、観劇の途中で席を立ち、帰りに工房の窓から覗くと、奥のほうで電動カッターに木片をあてがっている姿があった。彼女はまだ俺が劇場にいると思っているだろう。こちらに気づかぬうちに、「悪い男に操られるなよ」とひとりごちてその場を去った。彼女とは、今後一生会うことはないだろう。それを決めるのは俺だ。また会えるかもしれない、会えるはずと思っている女の気持ちを裏切るのが好きだ。日本の「仕事」で利用した女たちから去る時には、女が心待ちにするイベント当日を狙って突然消えて来た。消える前日に「明日が楽しみだね」と忘れずに声をかける。そう、俺たちの母親は、ふたりの誕生日の朝に目が覚めたらいなくなっていた。茶の間のテーブルに、やけに大きなホールケーキが乗っていて、チョコレートで文字が書いてあった。
「おめでとう」

 夜空が自分の部屋に消えたと思ったら、大型の手提げ紙袋を持って来て、中から次々に布をキッチンテーブルに並べ始めた。
「これは……巾着だな。今はこれを集めているの?」
「はい」
 大小様々、色とりどりの巾着を左端から小さい順に並べている。一列目が終わったら、二列目へ。小から大へ。きちんきちんと並べていく。今度は、巾着か。夜空は同じ種類の物を突然集め始める。最初はMONO消しゴムだった。おなじみのラベルだけで、五種類のサイズが出ている。夜空は文具屋でそれを知って、ミニサイズから特大サイズまで全部揃えて、何度も何度も大きさ順に並べることに没頭した。使わずに、ただ並べる。使ったら形が変わってしまうから。同じラベルで回転繰り出し式やノック式などがあることがわかり、喜ぶだろうと買ってやると、そっちには見向きもしなかった。角型でなければならなかったらしい。各メーカーで出している缶ビールシリーズを135㎖缶から順に500㎖缶まで四種類揃えて順に並べることにも嵌った。──中味は飲まないくせに、スーパードライだの一番搾りだのヱビスビールだの、ミニミニ缶からロング缶まで順に並べて見入っていた。
「なぁ、同じ模様でなくていいのか?」
 巾着のデザインがバラバラなので、不思議に思って訊ねると、
「同じです」
 巾着に小さくついているロゴを指さした。「CHAE☆CHA」とある。
「どこで買ってるの?」
「駅の近くのビル。手作りボックスで買います」
スマホで検索してみると、確かに駅近の総合スーパーのビルの中に「手作りボックス」という店がある。婦人フロアの角。俺たちがここに越して来たのは五年前だが、夜空はこの店の話をしたことがないし、巾着への執着もなかった。最近出店したのだろうか。それとも巾着を販売する人間が最近現れた? どんな女が作っているのだろう。いや、男かもしれない。チャエ・チャー、か。
「これを作っている人に会った事ある?」
「ないです」
 まあ、どうでもいい。レンタルボックスで手作り品を売るしょぼい女など──よもや金持ちであっても絶対に手を出さない。地元で「仕事」をするような馬鹿じゃない。夜空と共有する世界では、俺は本名の沢野星也を名乗る。
 夜空。大切な俺の妹。俺は夜空と生きていくために夜空の知らないところでたくさんの嘘をつく。夜空は、決して嘘をつかない。嘘のつき方を知らない。
「好きなだけ、巾着を買え」
 俺は、財布を鞄から出すついでに、夜空の頭をごりごりと撫でた。
「痛いです」
 夜空は、無垢な顔をしかめて俺を見上げた。


登場人物
 沢野星也 四十歳
 沢野夜空(星也の双子の妹) 四十歳
 操り人形工房の女
 香苗Gilbert と思われる人物


この記事へのコメント

  • カラーピーマン

    第11話 拝読いたしました。
    面白かったです。感想というより、内容が面白く一気に読んでしまいました。特に星也と夜空兄妹の件が興味深く引き込まれました。読みながらこの次はどういう展開になるのかな? と思っていたら、久枝の巾着が登場。合わせ技一本!!
    ありがとうございました。
    2021年07月31日 23:04
  • かがわとわ

    カラーピーマン様。
    ありがとうございます。カラーピーマンさんのコメントは、書いていく励みになります。感謝感謝であります。
    双子の兄妹の名前を考えるのに時間を要しました。夜空の名前は、自分でも気に入っています。双子の星也と夜空は、互いを必要とする関係であり、表裏一体です。嘘をついて生きていく星也と、嘘がつけない夜空と。
    2021年08月01日 14:17